こんにちは。
無印良品 芦屋モンテメールです。
前回のブログでは、1・17というタイトルで、
阪神淡路大震災を振り返りました。
今回は、
私が体験した当時をお話しさせていただきたいと思います。
芦屋や神戸周辺に住んでいる人の数だけ、
阪神淡路大震災に関する記憶や経験があり、
たくさんありすぎて数え切れないために、
普段はメディアでは語られないことを、
少しでもお伝えできれば幸いです。
1995年1月17日。
当時20歳だった私は、社会人1年目でした。
とある小売店に勤めており、
勤務先は芦屋市のすぐ隣、神戸市東灘区にありました。
震災当日は職場の上司と、
初めての東京出張に行く予定でした。
前日の16日は仕事を終えると、
尼崎にある上司の住んでいた会社の寮に、
もう1人の先輩と一緒に泊まっていました。
「ゴォーーーーー」
大きな地響きで目が覚め、
その直後、激しい揺れに襲われました。
『地震や!!』
先輩の声で、ようやく地震だと理解できました。
恐怖で動けず、布団を被り、揺れが収まるまで待ちました。
揺れが治まり、布団から出ると、
タンスの上に置いてあった大きなラジカセが、
私の頭のすぐ横に落ちていました。
これがもし、頭の上に落ちていたら、と思うとゾッとしました。
しばらくしてテレビを付けると、
神戸や芦屋の信じがたい映像が流れていました。
建物は崩れ、火事であらゆる所から黒い煙が立っており、
阪神高速道路が横倒しになっている。
芦屋市は山と海に囲まれた、南北縦長の街。
震災当日は、火事の煙で空は灰色に。
ほんの10時間ほど前まで仕事をしていた場所。
何故こんなことになってしまったのか。
ヘリコプターから撮られた悲惨な映像を、
ただ呆然と見続けることしかできませんでした。
高層マンションが建ち並ぶ、
芦屋市高浜町にある、シーサイドタウン。
現在、住宅が建ち並ぶここは、
当時はたくさんの仮設住宅が建っていました。
この後、勤務先に行くまでが大変だったのですが、
それはまた次のブログで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
無印良品 芦屋モンテメール