週末、地元の名刹大山不動尊にて『柴燈大護摩供法要 火渡り祭』がおこなわれました。
これは、毎年5月第三日曜日に行われる恒例のもので、昔から多くの人々が駆けつけてきます。
可能な限り参加している私は、今年も早めに到着したつもりだったのですが、すでに数人の参詣者がいることを知り、少々後れを取ってしまったような感じがしていましたが、ほとんどが撮影を目的とした方のようで、境内の隅々を撮影していました。
私は例年通り、まずお不動様に参拝してから、上方にある高蔵神社にのぼりました。
なぜかというと、高蔵神社の奥にある森の中にとても大切なものがあるからです。
それは、大山不動尊の開祖「良弁僧正」の碑です。
京都から東国に向かっていた良弁僧正が相模の大山に登った際、さらに東の方を見ると、紫色の雲がたなびく不思議な現象を見ました。その場所を追ってたどりついたのが現在の高蔵山だったのです。
そして高蔵山の大木のそばで念請すると、たちまち辺りに彩雲が漂い、その中から不動明王が現れて「これより東南に当たって、われ住むべき山あり。必ず形像を安置せよ」と良弁僧正に言いました。
こうして神亀元(724)年、高蔵神社とともに大山不動尊が創建され、良弁僧正がお告げを聞いたのが碑の立っている場所なのです。
いわいる「大山参り」という相模の大山寺のことを指しますが、相模の大山寺の創建は、天平勝宝 7(755)年同じく良弁僧正によるものです。つまり、高蔵山 大山不動尊の創建の方が早いのです。
相模の大山参りに行けない人々は、こちらの大山不動尊へと参拝していたそうです。
ちなみに、良弁僧正の碑からは、富士山と相模の大山寺を見ることが出来ます。
空気の澄んだ冬ならばきれいに見ることができると思います。
そのため 8:40 頃、修験者のうちの二人がこの碑の前にて、法螺貝を合図に良弁僧正へと読経をあげました。
この日は早朝より雨が降ったりやんだりしたおかげで、碑のある森は湿気を帯び、そこから昇ってくる空気がもやのようになっていたため、碑の周辺はとても荘厳な雰囲気でした。
その後 9:40 頃、高蔵神社の境内に14名の修験者が整列し、神社に向かって読経を始めました。14名による読経ですから、それはそれは迫力のあるもので、身の引き締まる想いで見ていました。
約10分間の読経のあと、法螺貝を吹く修験者を先頭に下方にある大山不動尊に向かって高蔵山を下りて行き、10:00に不動尊拝殿に入りました。
読経を終えて境内にあらわれた修験者達は、大護摩壇を囲っている結界の外を歩き、やがて東の方角につくられた結界の中への入り口の前でいったん止まりました。
すると一人の修験者が現れて宝剣をつかって結界への入り口を斬り、修験者14名は結界の中へ入り、祭壇にいる倶利伽羅龍王に礼をしたのち、各々の場所につくのでした。
この続きは、のちほどお伝えします。
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