皆さん、こんにちは。
当店「Cafe & Meal MUJI ホテルメトロポリタン鎌倉」が今ある場所は、過去どのような風景だったのかを探るコーナー、
前回は鎌倉時代の「小町口」「小町大路」について見ていきました。
今回はさらに小町周辺のことを書くつもりだったのですが、台風一過の干潮の時間に和賀江島に行くことができたので、少し寄り道したいと思います。
干潮の材木座海岸。
写真右奥に進むと和賀江島です。
前回書きましたように、「小町大路」は道なりに南下すると材木座海岸や和賀江島に通じます。
和賀江島は鎌倉時代の貞永元年(1232年)、執権北条泰時の時に築かれた、港の機能をもつ人工島です。
わかりづらいですが、写真中央の水平線と遠くの山の間に見えるのが和賀江島です。
手前に写っているゴロゴロとした石と同じものが積み上げられています。
時代とともに港の遺構は崩れ、現在の和賀江島は満潮時にはほとんど水面下に隠れてしまいますが、かなり引き潮になった時には石をつたって歩いて島に渡ることができます。
この日も結構引いてると思いましたが、渡れるほどではありませんでした。
この和賀江島の完成により、鎌倉の流通はさらに活発になり、日本各地や、当時の中国である南宋や元との貿易も盛んに行われたそうです。
実は、そんな鎌倉時代の物流の玄関口であった和賀江島やその周辺の砂浜では、現在でも当時の陶磁器のかけらを拾うことができます。
和賀江島近くの砂浜をよくみると、陶器片がたくさん落ちています。
一番有名なものはこの青磁のかけらです。
鎌倉時代には、南宋や元から多くの青磁や白磁といった陶磁器が、ここ和賀江島に船で運ばれてきたようです。
表面が少し透き通ったようなエメラルドグリーンのかけらを拾ったら、それが青磁のかけらかもしれません。
800年くらい前の遠い中国で作られたものが、時間と場所をはるばる旅してきて、偶然拾い上げた自分の手の中にあると思うと、なんだかとても特別なものに感じてきます。
さらに見つけたこちらのかけら。
この格子状に付けられた筋が気になって拾いました。
実は以前鎌倉の博物館で見た、鎌倉時代の「おろし皿」として展示してあったものとよく似ています。
もしかしたらこれもそのおろし皿のかけらかもしれません。
この突起で、当時の人々は何をすりおろしていたのでしょうか。
大根や生姜でしょうか。
どんな料理に使われていたのでしょうか。
他にも色々なかけらを拾いました。
色も質感も、材質も時代も様々。
それぞれ元はどのような形をしていたのでしょう。
お皿として使われていたのかもしれませんし、花器として季節の花が活けられていたかもしれません。
家族団欒の中にあったのかもしれませんし、お客様をもてなす特別な器であったかもしれません。
どのような人の手に渡り、どのようにして現代の海にやってきたのでしょうか。
想像は尽きません。
こんなふうに、教科書で習う歴史とは違った角度から、鎌倉時代に思いを巡らせることができた一日でした。
皆さんも、和賀江島でそれぞれの「鎌倉時代」を見つけてみませんか。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
《参考にした本》
『企画展 中国陶磁 青磁・白磁への憧れ』鎌倉歴史文化交流館発行
『ビーチコーミングを始めよう 海辺で楽しむ宝探し』山田海人著 エムピー・ジェー
本日のおたより カルベ
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