皆さん、こんにちは。
当店「Cafe & Meal MUJI ホテルメトロポリタン鎌倉」が今ある場所は、過去どのような風景だったのかを探るコーナー、いよいよ「鎌倉時代編」をお送りします。
前回、当店のある二ノ鳥居前の歴史を知るためのキーワードとして、「
中の下馬橋」をご紹介しました。
もう一つ、重要なキーワードとして「小町口」という地名があります。
今回はこの「小町口」について書いていきたいと思います。
鎌倉時代には、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮を結ぶメインストリート「
若宮大路」を中心に、いくつかの道が作られました。
そのうちの一つ、「小町大路(こまちおおじ)」は若宮大路の東側を平行して南北に走る道です。
ちなみに名前のよく似た「小町通り」は比較的新しい道で、古くは農道であったものが、横須賀線鎌倉駅の開業とともに発展していった商店街です。
さて、今回注目する「小町大路」は、北は頼朝の御所(大倉幕府跡)や執権北条氏の屋敷、南は材木座や、鎌倉時代中期に築かれた港「
和賀江島」に通じる、とても重要な道です。
大倉幕府が火災により焼失した後、「宇都宮辻子幕府」「若宮大路幕府」もこの道沿いに造られたと考えられています。
鎌倉の中で許可された町屋の一つでもあり、鎌倉時代には商人の活気あふれる道でもあったようです。
この小町大路、地元では「辻説法通り」、「辻説法の道」と言った方がピンとくる方が多いかもしれません。
道沿いに「日蓮聖人辻説法跡」という史跡があり、日蓮宗を開いた日蓮聖人がこの小町大路で人々に法華経の教えを説いたという伝説があります。
今でも街頭演説やパフォーマンスは人通りの多い場所
で行われますので、それだけ鎌倉の中でも小町大路は多くの人が行き交い、賑わいのあった道であったことが想像できます。
一番大きな若宮大路から、この小町大路に入るための入り口、すなわち「小町口」が、現在当店がある辺りの地名です。
「小町口」という地名はすでに建保元年(1214年)には『吾妻鏡』という史料に登場します。
当店の脇を通り小町大路にぶつかるこのなんてことないような道は、実は鎌倉時代の繁華街へ続く、古くからある道です。
こうして見ると、なんだかいつもとは違う景色に辿り着きそうな気がしてきませんか。
次回はこの「小町口」をヒントに、もう少し鎌倉時代の鎌倉の風景を探っていきたいと思います。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
本日のおたより カルベ
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Café&MealMUJIホテルメトロポリタン鎌倉
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