【Café&Meal MUJI鎌倉】鎌倉の初鰹
みなさん、こんにちは。
青空に映えた緑が美しい季節になりました。
この季節、眩しいほどの青葉を眺めていると浮かんでくる一句があります。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
江戸時代の俳人、山口素堂の有名な句です。
目で青葉を楽しみ、耳で山のほととぎすの声を聞き、舌で初鰹を味わうという、
「視覚・聴覚・味覚」で江戸の夏の楽しみ方を表した句です。
江戸時代、初物を食べると寿命が七十五日延びると言われ、初物は縁起物として人気がありました。
その中でも初鰹は、初物人気ランキング1位になる程、江戸っ子の憧れの的だったそうです。
流行りのピークには、現在の価格で一尾30〜40万円の値で取引されたという初鰹。
大金を払ってでも、人よりも早く初鰹を食べるのが、江戸っ子の粋でした。
こちらは江戸時代中期の浮世絵『江戸自慢三十六興』の一つ、「日本橋 初鰹」です。
女性が鰹を得意げにぶら下げていますね。
「まな板に 小判一枚 初鰹」
「初鰹 女房に小一年言われ」
また、冒頭の「目には青葉」の句を踏まえて、
「目と耳は ただだが 口は銭(ぜに)がいり」
など、江戸時代の俳句や川柳には、初鰹がいかに高価であったかを物語る作品が多く残されています。
実は江戸で大人気だったこの「初鰹」、鎌倉が有名な産地でした。
「鎌倉を 生きて出でけん 初鰹」
これは松尾芭蕉の句です。
当時鰹の産地として有名だったのは鎌倉や小田原だったそうで、相模湾で獲れた魚は、押送船(おしおくりぶね・おしょくりぶね)という手漕ぎの高速船で江戸に運ばれました。
有名な葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』に描かれているのが押送船です。
この船は小型ですが、冷蔵・冷凍技術もない江戸時代、新鮮な内に魚を江戸に届けるため、7〜8人の漕ぎ手が常に櫓を動かして走っていました。
「初鰹 百足(むかで)のような 船に乗り」
せわしなく櫓が動いていた様子が浮かびます。
とにかくスピード勝負だった初鰹。
日本橋に到着すると、魚売りも急いで売りさばいたそうですが、魚売りが来るまで待てないと言って沖まで船を出し、押送船に小判を投げ込んで海上で買った人もいたとか。
やがてこの異様なまでの「初鰹ブーム」も江戸の終わり頃には下火となり、初鰹の価格も落ち着いたものとなりました。
「朝顔の縹(はなだ)の色の初鰹 日の出ぬ内と 夜通しに来る」
「鎌倉の雪の下なる初鰹 ふふめ(含め)ば消る 味わいぞ良き」
歌川広重の『魚づくし』でも、鎌倉の地名が見られます。
また、「(口に)含めば消える」とあるように、春に北上する「初鰹」は脂肪が少なく、さっぱりとした味だそうです。
北上しながら栄養を蓄えた鰹は、秋に脂をたっぷりつけて「戻り鰹」として南下していきます。
現在は脂の乗った戻り鰹の方が人気ですが、江戸時代はさっぱりとした初夏の初鰹の方が好まれたようです。
それにしても美味しそうな鰹です。
きっとこの鰹を描いた後に食べたであろう歌川広重にあやかって、
今夜は我が家も鰹を食べることにしました。
「そこが江戸 小判を辛子味噌で食い」
江戸では鰹を辛子みそで食べていたようですね。
我が家はたっぷりの薬味と、ポン酢しょうゆでいただきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本日のおたより カルベ
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