みなさん、こんにちは。
3月下旬からは例年より早い桜の見頃を迎えると共に観光に来られる方が増え、春休みの鎌倉は久しぶりに賑わいました。
鎌倉には鶴岡八幡宮や高徳院の大仏をはじめ、見応えのある社寺や旧跡がたくさんあり、ガイドブックや地図を片手に歩かれている方もよく見かけます。
せっかく来たなら、見どころを逃さず効率よく観光したいですよね。
いつの世も考えることは同じようで、江戸時代にもたくさんの観光地図が版木で刷られていました。
こちらは江戸時代末期ごろの「鎌倉絵図」という地図です。(この地図自体は近現代に印刷されたもので、骨董市にあったものです。)
少し拡大して見てみましょう。
鶴岡八幡宮
地図の中でひときわ大きく配置されています。
境内も詳しく描かれており、きっと一番人が訪れる場所だったのでしょう。
大銀杏も描かれています。
そして、高徳院の大仏
大仏さまの顔も、手の組み方も、どことなく違うような気がしますが、なんとも味わい深い絵です。
さて、
以前のおたよりでは、明治期から昭和にかけて、「café&meal MUJI ホテルメトロポリタン鎌倉」がある場所は、かつての江ノ電鎌倉駅前の警察署だったという記事を書きました。
見切れていますが、上は鎌倉警察署だった頃。
下は現在のホテルメトロポリタン鎌倉です。
どちらもお正月の歩行者天国の時の写真です。
では、江戸時代の鎌倉駅周辺はどのような風景だったのでしょうか。
上の赤い鳥居が鶴岡八幡宮に一番近い「三の鳥居」、真ん中の道には「だんかづら」とあります。その両脇には屋根が並んでいますね。
江戸時代にはどうやらこのあたりに宿屋や店が多く立ち並んでいたようです。
そして中央にあるのが当店の目の前にある「二の鳥居」です。
「中の鳥居」と書いてあります。
辺り一帯には「本覚寺」や「大巧寺」の他には目立つ建物はありません。
江戸時代に描かれた他の地図や絵図をみると、二の鳥居よりも南側はほとんど畑だったようです。
このころの町の中心、そして観光客で賑わっていたのは、主に二の鳥居の北側だったことになります。
当店がある場所も、警察署以前は畑であったと推察されます。
一面の広い畑の中に建つお寺や鳥居、八幡宮。
今とはきっと全く違う景色ですね。
東海道が整備され、宿場町も発展して、庶民の旅が増えた江戸時代。
このころ書かれたいくつかの紀行文から紐解くと、
江戸を出発して金沢八景で富士山を眺め、朝比奈の峠を超えて、鶴岡八幡宮、光明寺、長谷寺、稲村ヶ崎から海沿いを歩き、江ノ島を見る
というのが人気のルートだったようです。
今も昔も名所はそんなに変わりませんね。
現在では公共交通機関や車で日帰りでも十分巡ることができるプランですが、江戸時代の人たちは徒歩で、数泊しながらこの鎌倉を楽しんだことでしょう。
この紀行文もとても面白いものが多いので、また機会がありましたらおたよりで書いてみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本日のおたより カルベ
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