皆さま、こんにちは。
クリスマスまでいよいよカウントダウン、そしてクリスマスが終わればあっという間にお正月と、イベント続きの年末。ワクワクすると同時になんだか忙しいこの時期は、隙間時間に寒さと戦いながら海沿いをのんびりと散歩するのが好きです。今日は私がよくお散歩する材木座海岸について少しお話ししたいと思います。
材木座は明治期に海水浴場となり、夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になりました。それ以降夏場になると海水浴を楽しもうと観光客で賑わっています。材木座が海水浴場として最適な理由の一つが遠浅であること。遠くまで行っても浅いため、安心して泳ぐことが出来ます。
しかし、今では材木座の魅力であるこの遠浅という特長が、昔は多くの人を悩ませました。鎌倉時代が始まり、政治の中心が鎌倉に移ると、それまで寒村だった鎌倉も次第に日本各地や遙か宋(現在の中国)の国との貿易で大いににぎわい、鎌倉の海には多くの船舶が碇泊するようになりました。しかし、材木座は遠浅で船荷の遠浅で船荷の揚げおろしに不便だったばかりか、難破する船が多発したのです。
この地理的な困難を乗り越え、材木座海岸が東国の貿易の拠点として繁栄するための鍵を握ったのが材木座海岸の奥にある和賀江嶋です。
勧進上人往阿弥陀仏が北条泰時の協力を得て、この地理的な問題の解決策として築きました。
和賀江嶋は相模川や酒匂川などから運ばれた石が海中に200メートル程積み上げられて築かれました。
なんと日本最古の築港遺跡です。
以後、数百年間にわたって船舶の発着に便利を与え、材木座は大いに賑わい、東国の貿易の拠点として鎌倉の海の玄関口では多くの物資が陸揚げされました。
今でも干潮時に海面から姿を現す和賀嶋では中国の宋時代の陶器や瀬戸物の破片が見つかったり、タイトプール(干潮時に磯にできる小さな潮だまり)の生き物を観察することができます。
海水浴が出来ないシーズンは材木座海岸の歴史に触れるのも面白いかもしれません。
水曜日のおたより ニタハラ
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